今年、スミスからはトラウトロッドの新製品が目白押しです。そのため、今年のカタログではトラウト色を強めに打ち出しました。
![190116-3.jpg]()
それに伴いカタログ内のトラウトページにコラムも記されています。コラムを記したのは謎のフィッシングライターA氏。文筆業をしているわけではないらしい。
唯一私が知っているのは、A氏が若かりし頃のおニャン子内の一推しが会員番号16番だったため、以後秋元グループの応援をしなくなったという悲しい過去くらい(笑)。
A氏のコラムはP74「極上の時間」とP75「神秘の湖で釣る」の2本(間もなくデジタルカタログもアップされますので、アップされたらご一読下さい)。「極上の時間」は渓流アングラー目線のコラムで、「神秘の湖で釣る」は湖アングラー目線のコラム。
が、実はもう1本お蔵入りになってしまったコラムがあります。お蔵入りになった理由は、私がページ分けを誤解していたから。コラムのページが3Pあると思っていたら2Pだった(汗)。
お蔵入りとなったコラムはそのまま消去してこの世から葬っても別に良かったのですが、たまたまネタ切れなのでこのブログ上にて掲載です。
『心に刻む釣り。』
釣りを終えて帰宅する。家族がいるならば決まってこう聞かれるはずだ。
「今日は釣れた?」
あいにく私はこの問いに対して、期待された返答をすることがほとんど出来ない釣り人である。何故なら、私が追い求めるのはたやすく仕留める事が出来ない魚だからだ。
釣りは良く釣れた方がいいに決まっている。にも関わらず自分は滅多に釣れない魚を追い求める釣り人になってしまった。
もう何度、肩を落として川を後にする日が続いただろう。それでもまた早朝から川面に立ちロッドを振る。案の定、その日も努力が報われる事はなかった。
仲間から情報が入る。釣果が出ていたのは自分が狙っていた場所よりも下流だった。それならばと下流に入る。すると皮肉なことに、その日の釣果は私が元々狙っていた場所で出ていた。自身の運の無さを嘆き、情報に振り回される浅はかさに嫌気が差し、軽率な判断を後悔した。釣れない釣りはネガティブなことばかりが頭の中を駆け巡る。
サクラマスという魚は言うまでもなく降海型の魚である。周年川にいる魚ではないため狙える時期は限られている。チャンスは短く貴重だ。だから時には吹雪の中でロッドを振り続けることもある。ほとんど修行のような釣りだが、その努力が報われるとは限らない。傍から見れば一番酔狂に思える釣りなのではないか。時々、どうして自分はサクラマスを狙っているんだろうと自問自答をしてしまうほどだ。
出会いは唐突にやって来る。諦め半分に投じたチェリーブラッドが不意に抑え込まれた。この瞬間を待ち侘びていたはずなのに、あまりにも魚を釣っていないとヒット自体に懐疑的になってしまうのだから苦笑いするしかない。おまけに、とても冷静なファイトなんて出来やしない。不意に千載一遇のチャンスに直面した時、冷静に対処できる人なんているんだろうか。
気付けば、チェリーネットには銀色の魚体が横たわっていた。日常生活では決して味わうことのない深い感動と共に。
自分の釣りは黒星続きだ。とても人に自慢できるものではないし、ついには家族から釣果を聞かれることすらなくなった。でも1つだけ胸を張って言えることがある。それは1尾1尾のサクラマスとの出会いを克明に記憶に刻んでいるという事だ。ヒットルアーを手にするだけで、サクラマスとの出会いが鮮明に蘇ってくる。
これからもきっと安易にサクラマスを手にする事なんて出来ないだろう。一度の魚信さえも得られぬまま、無念の思いで川を後にすることも多いだろう。でもそれでもいい。次の1尾がきっと、より深く心の中に刻まれるはずだから。
何故会員番号16番を推していたライターA氏が秋元氏を嫌いになったのか?その理由がわからない人はググるか、50歳前後のオジサンに聞いてみよう。

それに伴いカタログ内のトラウトページにコラムも記されています。コラムを記したのは謎のフィッシングライターA氏。文筆業をしているわけではないらしい。
唯一私が知っているのは、A氏が若かりし頃のおニャン子内の一推しが会員番号16番だったため、以後秋元グループの応援をしなくなったという悲しい過去くらい(笑)。
A氏のコラムはP74「極上の時間」とP75「神秘の湖で釣る」の2本(間もなくデジタルカタログもアップされますので、アップされたらご一読下さい)。「極上の時間」は渓流アングラー目線のコラムで、「神秘の湖で釣る」は湖アングラー目線のコラム。
が、実はもう1本お蔵入りになってしまったコラムがあります。お蔵入りになった理由は、私がページ分けを誤解していたから。コラムのページが3Pあると思っていたら2Pだった(汗)。
お蔵入りとなったコラムはそのまま消去してこの世から葬っても別に良かったのですが、たまたまネタ切れなのでこのブログ上にて掲載です。
『心に刻む釣り。』
釣りを終えて帰宅する。家族がいるならば決まってこう聞かれるはずだ。
「今日は釣れた?」
あいにく私はこの問いに対して、期待された返答をすることがほとんど出来ない釣り人である。何故なら、私が追い求めるのはたやすく仕留める事が出来ない魚だからだ。
釣りは良く釣れた方がいいに決まっている。にも関わらず自分は滅多に釣れない魚を追い求める釣り人になってしまった。
もう何度、肩を落として川を後にする日が続いただろう。それでもまた早朝から川面に立ちロッドを振る。案の定、その日も努力が報われる事はなかった。
仲間から情報が入る。釣果が出ていたのは自分が狙っていた場所よりも下流だった。それならばと下流に入る。すると皮肉なことに、その日の釣果は私が元々狙っていた場所で出ていた。自身の運の無さを嘆き、情報に振り回される浅はかさに嫌気が差し、軽率な判断を後悔した。釣れない釣りはネガティブなことばかりが頭の中を駆け巡る。
サクラマスという魚は言うまでもなく降海型の魚である。周年川にいる魚ではないため狙える時期は限られている。チャンスは短く貴重だ。だから時には吹雪の中でロッドを振り続けることもある。ほとんど修行のような釣りだが、その努力が報われるとは限らない。傍から見れば一番酔狂に思える釣りなのではないか。時々、どうして自分はサクラマスを狙っているんだろうと自問自答をしてしまうほどだ。
出会いは唐突にやって来る。諦め半分に投じたチェリーブラッドが不意に抑え込まれた。この瞬間を待ち侘びていたはずなのに、あまりにも魚を釣っていないとヒット自体に懐疑的になってしまうのだから苦笑いするしかない。おまけに、とても冷静なファイトなんて出来やしない。不意に千載一遇のチャンスに直面した時、冷静に対処できる人なんているんだろうか。
気付けば、チェリーネットには銀色の魚体が横たわっていた。日常生活では決して味わうことのない深い感動と共に。
自分の釣りは黒星続きだ。とても人に自慢できるものではないし、ついには家族から釣果を聞かれることすらなくなった。でも1つだけ胸を張って言えることがある。それは1尾1尾のサクラマスとの出会いを克明に記憶に刻んでいるという事だ。ヒットルアーを手にするだけで、サクラマスとの出会いが鮮明に蘇ってくる。
これからもきっと安易にサクラマスを手にする事なんて出来ないだろう。一度の魚信さえも得られぬまま、無念の思いで川を後にすることも多いだろう。でもそれでもいい。次の1尾がきっと、より深く心の中に刻まれるはずだから。
何故会員番号16番を推していたライターA氏が秋元氏を嫌いになったのか?その理由がわからない人はググるか、50歳前後のオジサンに聞いてみよう。
